『サーブの思い出』作文コンテストの優秀作品を紹介します

2018年03月28日

いつも但馬空港のご利用ありがとうございます。

先に募集をした『サーブの思い出』作文コンテストに、小学生の部16名、一般の部には8名の方から応募がありました。応募をいただいた皆さん、ありがとうございました。

但馬空港審査委員会で厳正に審査をした結果、小学生の部は最優秀賞1名、優秀賞5名、一般の部は最優秀賞1名、優秀賞4名の作文が選ばれました。(計11名)

その11名の方の作文をすべて紹介します。優秀賞については順不同です。

【小学生の部】

◎最優秀賞 兵庫県豊岡市 秋田芳信さん(小学5年)

『サーブとの思い出』

 ぼくは、将来パイロットになりたい。そう思ったころ、乗ったのがサーブだった。ぼくは祖父がパイロットをしているので、飛行機は身近なそん在で乗ったこともあった。しかし、一人で乗ったことがなかったので、ぜひ乗ってみたいと、1年生の時、両親にたのんだ。その願いがかない、『キッズサポート』を利用して西宮のおばあちゃんの家に行くことになった。緊張したが乗ってみると、座席がふんわりしていて、とてもきもちよかった。離陸する時はとてもぐらぐらゆれてぼくは、イスをにぎりしめた。しかし、空の景色を見ると『こわい』という気持ちはなくなった。豊岡の街なみ、大きな円山川、ぼくの学校も見えた。いつもの場所を空の上から見るなんてすてきだなと思った。高くなっていって地上は、見えなくなってしまったけれど今度は、空のすばらしい景色がまっていた。オレンジ色のきれいな夕やけ、おもしろい形の雲、そしてすき通った青色の空。ぼくは夢中になった。また、飛んでいる間、飴が配られ、親切なCAさんの対応に大人になった気分だった。 大阪伊丹空港に着陸する時には、大阪の夜景がぐんぐん近づいてきてきれいだった。とても大きな飛行機がならんでいる中をサーブは堂々と着陸していった。着陸してみると、サーブは小さく見えたが、そんな中で、がんばっているサーブを見てかっこいいと思った。サーブは終わって新しい飛行機に変わるのも楽しみだけど、サーブとの思い出を大切にしてぼくは、これから将来の夢に向かってがんばっていきたいと思う。サーブ、ありがとう。

○優秀賞 兵庫県豊岡市 家城鴻史朗さん(小学6年)

『小さな飛行機』

 ぼくは、この小さな飛行機にはたくさんの思い出があります。生まれて初めて飛行機にのって「飛行機ってこんなにワクワクして楽しいものなんだ」と知ったのもこのサーブでした。飛行機はとても大きな音でこわかったけど、この飛行機の操縦士はこわくないのかなとの疑問とともに、こんなすごい機械を上手に運転できる人がとてもすごく感じました。そしてぼくも操縦士のようにすごい人になりたいと思いました。また去年の旅行でもサーブでいたみ空港まで乗って行きました。そして旅行から帰ってきてしばらくしたら、ニュースでサーブがなくなり新しい飛行機になると聞き、新しくなり快適になるけどサーブがなくなるのは少しさみしいです。でもぼくはサーブがたくさん仕事ができてたくさんの人を安全に今まではこんできたからサーブも幸せだと思います。また新しい飛行機もたくさんの人を安全にのせていってほしいと思います。

サーブ今までありがとう。

○優秀賞 兵庫県豊岡市 山本輝心さん(小学6年)

『サーブには「ありがとう」の言葉でいっぱい』

 ぼくは、4年生のときに飛行機体験で初めて飛行機に乗りました。 但馬空港から伊丹空港までサーブという飛行機に乗って行きました。 ぼくはそれまでにいろいろな飛行機を見たことがあるけど、サーブという飛行機は初めて見ました。 初めて見たときに「かっこいいなあ~」と思いました。 しかも乗ったときには、「なんてきれいで、乗りごごちがいいんだ」と感心しました。 見ためがかっこよく中はきれいで乗りごこちのいい飛行機サーブを操縦している機長さんは幸せなんだろうなぁ~と思いました。 サーブというすばらしい飛行機に乗れたぼくもすごく幸せです。 24年間もサーブは但馬の空を飛んできたので、サーブには、24年間たくさんの人を乗せてくれてありがとうと感謝しています。 平成30年5月6日でサーブはなくなってしまうのでさみしいです。 平成30年5月6日までに1回ぐらいは、サーブに乗って「ありがとう」と伝えたいなぁ~と思いました。

○優秀賞 兵庫県豊岡市  松井モナさん(小学3年)

『ありがとうサーブ!いつまでも忘れないよ』

 私は、いたみに行くとき、ずっと、サーブにのっていきました。サーブというひこうきは、1人1人の足のおく場所がひろかったのですごくのりやすかったです。サーブは、すごく安心・安全でのれて、うれしかったです。サーブというひこうきは、名前もカッコイイし、多くの人にみまもられていたと思います。そんなサーブのことを私は、いつまでも忘れません。私たちの家族は、サーブのいいところをいっぱい教えると、「サーブのつくりはすごくいいね。私ものりたいなあ。」といっていて、もっとサーブのことをまもってみせたいと思いました。これからサーブがとばないなんて悲しいです。けれど24年間もサーブがとんでいるから、サーブがんばったね!とつたえたいです。サーブの外がわも中がわまだぜんぜんきれいだから、後、16年くらいもちそうだと思いました。私は、しょうらいたくさんの命を大切にできるサーブのようなひこうきのパイロットになりたいです。

○優秀賞 兵庫県豊岡市 松井レナさん(小学5年)

『私の友達』

 私が、サーブ機に初めて乗ってのは、1年生ぐらいの時です。そのころは、とっても飛行機がこわくて、きらいで乗りたくないなと思って、お母さんに、「いやだ」とかをずっと言っていました。次の日、けっきょく飛行機に乗ることにしました。但馬空港に着き、飛行機に乗ったとき、不安に感じたことがありました。それは、飛行機が転落しないかが、とっても不安でした。とうとう時間がきて、飛行機が飛びました。私は少し目をつぶっていました。そして目をあけると、夜だったので最高の景色でした。このとき飛行機は、こわくなくて、楽しい乗り物で、笑顔を乗せてくれる飛行機なんだなと思いました。

 そして今になってサーブは「私の友達」と思いました。そんなサーブがなくなると少しさびしいいです。でも、1年生から今まで乗るのがとっても楽しかったです。新しい飛行機になっても、サーブみたいな楽しい思い出を作りたいです。

○優秀賞 兵庫県豊岡市 土肥妃凪多さん(小学4年)

『初めて乗ったひこう機の思い出』

 私は、昨年の5年に飛行機体験でサーブ機に乗りました。 初めて乗ったけど天高く飛んでいいながめでした。

 サーブ機に乗る前は、どんな感じかドキドキしました。 いつもと変わらない風景がどんなふうに見えるのか、とても楽しみでした。

 サーブ機に乗ると山のてっぺんも見えたし海の真上も飛んでいたのできれいなながめでした。 なかなか見ることのできない風景なので見ることができてよかったです。 海が光って、港も見えたことが心に残っています。

 そして、もう一つは客室じょうむ員さんのやさしさがうれしかったです。 もし、じこにあった時にみんなが助かるように、客室乗む員さんが、安全ベルトのやり方を教えてくださいました。 あめやもうふもかしてくださり、そのことも思い出になりました。

 今までたくさんのお客さんを乗せて飛んできたサーブ機、ありがとう。 おつかれ様でした。

【一般の部】

◎最優秀賞 宮崎県延岡市 星野有加里さん

『古稀のファーストフライト』

 「毎日毎日、飛行機の写真ばっかり、よく飽きないよね」

 絶好のフライト日和の碧空を背景に、但馬空港へ向かう飛行準備中のサーブ340Bに焦点を合わせてシャッターを切り続ける父に、呆れながら声をかけた。

 「飽きないさ。今日、今この瞬間の空と全く同じ空は二度とないように、飛行機だって毎回違う顔で、たくさん人々の人生を乗せて飛んでいくんだからな」

 カメラから目を離し、愛情溢れる眼差しで空港の展望デッキからサーブを見下ろす父。

 父の言葉は私の胸に強く響いた。同じ一日はない。だから、私も今日という一日を精一杯羽ばたかなくちゃ。飛び立っていったばかりのジェット機を見送りながら、そう思った。

 来る日も来る日も伊丹空港に通い、飛行機を撮り続ける父は、飛行機専門のカメラマンだ。特にプロペラ機を好み、中でもサーブ340Bは父の最もお気に入り。そのくせ、古稀を過ぎた父は時代錯誤にも、「鉄の塊が飛ぶなんて信じられない」と怖がって、今まで一度も飛行機に乗った事はない。おかげで家族旅行はずっと陸路のみ。それが子供心にも不満だった。でも、なぜ今日、伊丹空港まで私が同行したのかと言うと…

 「パパ、そろそろ搭乗時間だよ」父を促すと、緊張した面持ちで「ああ」と頷いた。私たちは搭乗ゲートへ向かって歩き出す。ひと月前のことだ。一大決心を告げるような重々しい口調で、「サーブが退役する前に記念に一度、乗っておきたい」と父が言ったのは。20年来撮り続けた大好きなサーブがもうすぐ退役する。それを知った父は、愛するサーブの最後の想い出にと、七十にして人生のファーストフライトに挑む決心をしたのだ。伊丹~但馬なら近距離だし、何とかなると思ったらしい。…だが、さすがに一人で飛行する勇気はないようで、お伴に私がご指名されたという次第。機体へ繋がるステップの終点まで来ると、「さあ、乗るぞ」父はまるで聖域に踏み入れるような厳かな顔で、サーブの機内へと一歩踏み込んだ。

○優秀賞 兵庫県養父市 中尾淑子さん

『約束』

「ぼく、あの飛行機に乗ってみたいなぁ。」

 娘の里帰り出産に一緒に帰省していた孫が三歳だった一昨年の夏、夕方五時半になると外に出て、但馬空港に向かう飛行機が飛んで来る空を二人で見上げるのが毎日の日課だった。「小学生になったら一緒に乗ろうな。」と三歳の孫と約束をした。

「バアバは、乗ったことがあるの?」

「あるで。バアバが一番覚えているのは・・・・」

と、なつかしい思い出がよみ返ってきた。

 二十年前、複式学級を有する山あいの小学校に勤務していた時、二、三年の子どもたちと保護者の方と一緒に、但馬空港からの飛行機に乗った。「飛行機は下から見上げるもの」と自信を持って言い切っていた子どもたちをぜひ飛行機に乗せてやりたいという保護者の方の思いで、学級PTAの行事として大阪まで出かけた。当日は、前日に通過した台風の名残で小雨模様。気流の悪さからか、高層ビルの高速エレベーターのような降下を何度かくり返しながら、伊丹空港に無事着陸。インパクトの強い飛行機体験デビューをした子どもたちだったが、「もう着いちゃったわ。」と笑顔いっぱいで話している様子を見て、乗ってよかったと思うと同時に、子どもたちのたくましささえ感じたことを今でもなつくかしく思い出す。帰りのフライトは、青空の中、眼下の景色を堪能した。ビル街が過ぎ、集落の様子から人々の暮らしの営みを感じ、絵画のような川の蛇行を目で追い、ふる里但馬の山々の深さに驚き・・・・・・・機内から何度も子どもたちの歓声が上がった。

 あの時の子どもたちも、今は社会人としてそれぞれの道を歩いている。あの子たちの心の中には、サーブ機が離着陸してきた但馬空港と同じく、心の飛行場である「ふる里但馬」「最愛の地大屋南谷」が存在し、いつの時も心の支えになっていくのだろうと思っている。

 あの夏の日の夕方に交わした可愛い約束。但馬空港を離陸する新型機に、小学校になった孫と一緒に乗る日を楽しみにしている。

○優秀賞 兵庫県豊岡市 柴崎千佳さん

『サーブに夢をのせて』

 あの頃、私は夢をつかむのに必死だった。平日は仕事をして、土日は大阪や神戸に研修や勉強会に、研修がない土日は研修や旅費代を稼ぐためにアルバイトをしながら日々を過ごしていました。研修の時は、いつも朝早く起きて電車で2~3時間かかって大阪や神戸に行っていたが、正直もう疲れたと思っていたが、なかなか受からない国家試験でした。

 その頃、但馬空港から伊丹空港まで30分しかかからず、そこから駅に直通バスがあると知り、なんと嬉しかったか、しかも料金は電車と変わらずに行けることもわかり大喜びをしたのを覚えています。何度かサーブで大阪や神戸に運んでもらい、スーツを着た男の人がほとんどの中「この人も頑張っているんだなと思い自分も頑張ろう」という気持ちになっていました。

 そして1年後にやっとの思いで取得できた国家試験はサーブのおかげで、その資格が今の仕事にも生きています。

 家族を持った今、娘や息子の夢をのせて新しい飛行機に乗りたいなと思います、「サーブ」夢をありがとう。

○優秀賞 埼玉県所沢市 小松崎有美さん

『サーブで語った夢』

 思い出は息子と語った夢のこと。もう十数年も前だが但馬空港の仕事で但馬と伊丹を往復することが増えた。当時は5歳になる息子を実家に預け、馬車馬のように働いていた。帰りの飛行機を降りるとそのまま実家に、風呂に、布団に滑り込む。息子と会話らしい会話は皆無だった。しかし、その日はどこもかしこも親子連れ。「そうか、夏休みだ。」私はハッとした。夏休みらしいことをしてあげてない。猛省した。周りに咲いている子供の笑顔。スケジュール帳を開いて、一念発起、息子をサーブ機に乗せてやることにした。

 フライト当日息子はお腹をこわした。無理もない。この子は興奮するとこうなるのだ。ちなみにこの日の便は乗客が少なく、後方座席に座ることになった。息子は前に行きたがった。CAさんに尋ねるとサーブ機は前方が重いためだと言う。それを聞いた息子は「じゃあ、ぼくはここからうごかない。」面白いことを言うなと思った。ガタガタという横揺れ、フワッフワッという浮遊感。スリル満点だった。「ぼく、大きくなったらひこうしさんになりたい。」「なんでそう思うの。」その後返ってきた息子の答えは衝撃だった。「だってお母さんをはこべるから。」私は目頭が熱くなった。きっと子どもながらに寂しい思いをしていたのだろう。すると息子は「お母さんは、小さくなったら何になりたい。」答えに困った。しかし、たった一つだけ明確な答えがあった。「あなたともっと一緒にいたい。」自分の心に、息子の心に、嘘はつきたくなかった。私はその年仕事に別れを告げた。そして夢を叶えた。いま思う、息子とのあの時間があって良かったと。

○優秀賞 京都府京丹後市 小西宏和さん

『お手紙』

サーブくんへ。

きみに初めて乗ったのは、おととしの冬だったね。

ぼくは飛行機に乗るのが怖くて、何度となく飛行機を見ていたけれど、一生乗らないままだと思っていたよ。

でも、豊岡市のイベントで、伊丹空港までの往復チケットが当たり、初めて飛行機に乗ることになったよ。そのときに乗ったのが、きみだったよ。

但馬空港に向かっているとき、伊丹空港からやってきたきみを見たよ。まるで、鳥のようだったね。

伊丹空港に着いたとき、まわりの飛行機の大きさにびっくりしたよ。

小さいからだなのに、一生懸命飛んでくれて、ありがとう。

そのきみが、もうすぐ但馬の空にやってこなくなると聞き、一言お礼をしたいと思って、ペンを取りました。

実は、きみに乗って会いに行った人と、一生一緒にいることになりました。

きみが飛んでくれたおかげだよ。

きみは、人と人とをつないでくれたよ。

本当に、ありがとう。

これからも、空の上から、みんなを見守っていてね。

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